リャード・ヘンリー・ブラントンの灯台

潮岬灯台(和歌山県)の壁に書かれているR・H・ブラントン


「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントン

 R・H・ブラントンは、1841年12月、イギリス海軍の艦長の息子としてスコットランドのアバディーンという街で生まれた。
 鉄道会社の土木首席助手として鉄道工事に従事していたが、イギリス政府から日本政府雇いの灯台技師の選定を任されていた有名な灯台建築家スチーブンソン兄弟に1868(明治元)年2月に明治政府の雇い灯台技師として採用された。日本に出発する3ケ月前に灯台建設と光学、その他の機械装置の知識を習得、更にイギリス各地の灯台を訪れ、実地の技術習得につとめた(当時、イギリスでも灯台建設の専門家が不足していたという時代背景がある)
 1868(明治元)年8月、26歳の時に妻子を伴い、2人の助手と共に来日した。1876年まで日本に滞在していた8年間の間に、いろいろ困難な条件のなかで日本全国の沿岸に30余りの主要灯台を建設して、日本の灯台システムを確立した。
 ブラントンをリーダーとしたイギリス灯台技術団が残していった灯台技術と職場規律は日本に受け継がれた。
 灯台建設以外にも、ブラントンは日本最初の電信工事(明治2年・横浜)日本最初の鉄橋建設(横浜・伊勢佐木町の吉田橋)日本最初の鉄道建設は新橋から横浜間が最適と明治政府に意見書を提出、大阪港・新潟港の築港計画の意見書提出、横浜外人墓地の下水道工事の設計などを通じて、鎖国が解かれた開化期日本に(西欧技術の移入に尽力し)功績を残した。
 1876年イギリスに帰国後、ブラントンは、「日本の灯台(JapanLights)」の論文を学会で発表、その後は、建築家として建物の設計・建築の仕事をした。そして、仕事の合間に書きためていた「ある国家の目覚め・日本の国際社会加入についての叙述とその国民性についての個人的体験記」という原稿をまとめ終えてまもなく、1901(明治34)年にこの世を去りました。


リチャード・ヘンリー・ブラントンが残していった主な灯台

樫野埼灯台(和歌山県)

1870(明治3)年6月10日点灯・明治2年着工、ブラントンが最初に手がけた灯台・日本最古の石造り・江戸条約の条約灯台

潮岬灯台(和歌山県)

1870(明治3)年6月10日仮点灯・明治2年4月着工・木造・明治6年9月15日初点灯・江戸条約の条約灯台

神子元島灯台(静岡県)

1870(明治3)年点灯・石造り・江戸条約の条約灯台

剱埼灯台(神奈川県)

1871(明治4)年1月11日点灯・石造り・江戸条約の条約灯台

伊王島灯台(長崎県)

1871(明治4)年点灯・鉄造り・江戸条約の条約灯台

佐多岬灯台(鹿児島県)

1871(明治4)年点灯・鉄造り・江戸条約の条約灯台

江埼灯台(兵庫県)

1871(明治4)年4月27日点灯・石造り

六連島灯台(山口県)

1871(明治4)年点灯・石造り

石廊埼灯台(静岡県)

1871(明治4)年8月21日点灯・木造

部埼灯台(福岡県)

1872(明治5)年1月22日点灯・明治3年12月着工・石造り

友ケ島灯台(和歌山県)

1872(明治5)年6月25日点灯・明治3年4月着工・石造り

和田岬灯台(兵庫県)

天保山灯台

鍋島灯台(香川県)

1872(明治5)年11月15日点灯・石造り

安乗埼灯台(三重県)

1873(明治6)年4月1日点灯・木造

釣島灯台(愛媛県)

1873(明治6)年6月点灯・石造り

菅島灯台(三重県)

1873(明治6)年7月1日点灯・日本最初の煉瓦造り灯台

白州灯台

御前埼灯台(静岡県)

1874(明治7)年5月1日点灯・煉瓦造り

犬吠埼灯台(千葉県)

1874(明治7)年11月15日点灯・1872(明治5)年9月着工

羽田灯台

烏帽子島灯台(福岡県)

1875(明治8)年点灯・鉄造り

金華山灯台(宮城県)

1876(明治9)年11月1日点灯・1874(明治7)年2月25日着工・石造り

角島灯台(山口県)

1876(明治9)年3月1日点灯・1873(明治6)年8月着工・石造り

尻屋埼灯台(青森県)

1876(明治9)年10月20日点灯・1873(明治6)年着工・煉瓦造り


Menuに戻る

Homeに戻る